はじめまして、青山ムータローです。
現在43歳で外資系製薬会社で働いています。シニアマネージャーという立場で年収は1,200万円ほどあります。
しかし、これまでの社会人人生は決して順風満帆とは言えないものでした。就職氷河期の中、無職という危機的状況からスタートし、その後も2回失業をする等、これまで何度も挫折を味わってきました。
私のこれまで
二流大学1浪2留、無職からのスタート【暗黒時代】
私は1浪して二流大学に入り、そこでは2回留年しました。そして卒業時はちょうど就職氷河期にあたり、就職先が決まらないまま大学を卒業し、そのまま無職となってしまいました。
そんな中、卒業5ヶ月後にようやく、社員10人程度の医療機器を扱う商社に採用されました。そのときの年収は300万円。
その会社での年収は3年間変わらず、29歳のときに旧財閥系造船会社へ転職しました。そして年収は400万円弱になりました。しかし、体調を崩し会社を辞めざるを得なくなり無職になってしまったのです。さらに当時のリーマンショックによる不況の影響で、無職期間は13ヶ月間にも渡り、正に社会の底辺にいました。
無職からの逆転の始まり
その無職期間のあとようやく31歳のときにアメリカのライフサイエンスメーカーに採用されました。これが自身初の外資系企業となり、年収は500万円に。
その会社には5年半勤めた後に、今度はイスラエルの医療機器メーカーに転職し、年収は860万円ほどにすることができました。
次は韓国の医療機器メーカーへ転職し、年収は900万円に。
さらに37歳のときにFORTUNEのトップ100以内にランキングされるアメリカの医療機器メーカーへ転職し、年収は980万円に。
そして39歳より現職に至り、年収が1,100万円を越えてきました。
外資系企業への転職が人生の転機となった
上記のように、これまでの私のキャリアを振り返ると、31歳のときに外資系企業へ入社したことが、人生の大きな転機となりました。
外資系企業に入ることで日系企業特有の年功序列の給与体系を抜け出し、実力がある人・実績を上げた人は年齢を問わず対価を与えるというカルチャーの中で順調にキャリアアップすることに成功してきました。
このブログでお伝えしたいこと
私は現在、ある程度の年収を得て余裕のある生活ができるようになりましたが、これまでお伝えしたように過去には無職・低年収で苦しんだ時期もありました。
これまでの私の経験からキャリア構築の方法や年収を上げるためのノウハウを皆さんにお伝えしたいと思います。
本ブログでは下記についてご紹介していきます。
- 外資系企業への転職方法
- 人材紹介会社の効果的な使い方
- 職務経歴書攻略法
- 採用面接攻略法
- 英語力を上げる方法
- 外資系企業関連書籍の紹介
- 正しい年収の上げ方
- 副業・投資のススメ
何かの縁でこのブログを見つけてくださった皆様のお役に立てるように、ブログの内容をを充実させていきます。
個人のお客様からのキャリアコンサルの依頼や、取材の依頼等も受け付けておりますので、ご興味のある方は専用フォームよりお気軽にお問い合わせください。
キャリアコンサルティング実績
- 45歳男性・マーケティング職
- リーダー→アシスタントマネージャー
- 年収550万円→700万円
- 31歳女性・アナリスト
- アソシエイトマネージャー→アソシエイトマネージャー
- 年収680万円→780万円
- 34歳女性・マーケティング職
- リーダー→マネージャー
- 年収520万円→720万円
それでは、どうぞ宜しくお願い致します。